富山きたものがたり
第一回
表は質素、中は豪壮(回船問屋・森家)
岩瀬の町は小路が多い。人家が密集して入り組んだ町並みは、幕末から明治にかけ北前船の寄港地として、多くの富を生み出した歴史を感じさせるのに十分だ。
大町通りに、かつて回船問屋だった古い屋敷がいくつもある。その中のひとつが明治11年に建てられた森家である。カラー舗装された道路から見ると、北陸街道によくある古い町屋にしか見えない。だが、中に入ると細かな細工をはじめ、贅(ぜい)のかぎりを尽くしており、ギャップに驚かされる。
まずは、広々とした三列四段という豪壮な間取り。一階は間口に沿って部屋が三列に並び、それが奥に向かってそれぞれ四つある。入り口の「オイ」は商談の場で囲炉裏が切ってあり、かつてはロシア産の琥珀が敷き詰めてあったという。天井のない吹き抜けの屋根には天窓があり、日差しが部屋の中に柔らかに降り注いでいる。
建築部材は、長年にわたって建物を支えきた梁(はり)が能登の黒松、トイレの扉は見事な木目を誇る屋久杉、庭石は佐渡や伊予などから運ばれたという具合だ。
中でも目を引くのは、奥の土蔵に通じる土間の敷石である。長さ8.1メートル、幅1.8メートルの一枚岩だ。いや、表面しか目には見えないが、この厚みがなんと50センチ以上もあるという。小豆島からいかだの下にぶら下げて運んだそうだ。浮力を少しでも利用した方法である。
越中の北前船は、下関から瀬戸内海を通って大阪へ米を運び、北海道からは鰊肥(ニシンの田んぼの肥料とした)を積んで戻ってくるのが主な仕事だった。それを中心にして、全国の港を経由して物資を輸送する一大産業だった。
大阪から見ると北から来るので「北前船」と呼ばれているが、地元では「バイ船」と言っていた。「売買のバイ」なのか「倍々に儲かるから」なのかは知らないが巨利を得ていたことだけは間違いない。行って帰ってくるたびに儲かるから「のこぎり商売」とも言われた。
森家もそうした回船問屋のひとつで、国の重要文化財に指定されている。一時期、倉敷レーヨン(現クラレ)の手に渡ったが、現在は富山市の所有だ。おかげで、歌会やサークル活動など文化的な会合を希望する人に一日3150円の使用料で開放されていると言う。
表の質素さからは想像できない豊かさは、富山の人と相通じるものがある。
ポートラムの岩瀬浜か東岩瀬で降りると町中を散策しながら行ける。入館料は大人110円、小人50円。