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立山砂防の前線基地・水谷平に到着したトロッコ電車
標高3000mの山々が連なる北アルプス。それを貫く立山黒部アルペンルートは、年間100万人が訪れる一大観光地です。最近では台湾、韓国からの観光客も多く、「日本のスイス」として知られるようになりました。特に室堂近くの「雪の大谷」に出来る、高さ20mもの雪壁(6−7階建てビルに相当)が人気。夏や秋に訪れた観光客らも、駅舎などの壁に貼られた雪の大谷のポスターに歓声を上げ、ポスターそのものを撮影していく姿がよく見られます。
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| 断崖を縫って走る |
しかし、立山は広い。美しい信仰の山の姿とは別に、自然むき出しの荒々しい表情も持っています。つまり、「知られざるもうひとつの立山」があるのです。そんな未知の世界へ連れて行ってくれるのが、トロッコ電車。一般に営業しているトロッコではありませんが、黒部ルート同様、「見学会」があり、抽選で乗ることが出来るのです。
トロッコの名は「立山砂防工事専用軌道」。常願寺川上流では、土砂災害を防ぐ工事が行われており、必要な物資や作業員を前線基地へ運ぶため国土交通省が運行しているのです。そして、見学会は夏から秋にかけ、「立山カルデラの砂防工事を理解するため」に開かれているのです。
富山平野から見ると、立山の右側に大きなすり鉢状のくぼ地があります。約10万年前の噴火の名残と言われる立山カルデラです。安政5年、大地震が起きて鳶山が崩壊、大量の土砂がこのくぼ地に堆積しました。万一流れ出すと富山平野を2mの高さで覆うといわれています。それを防止するために明治時代から百年間も砂防工事が行われているのです。
未曾有の巨大災害だけでなく、常願寺川の流域の山はあちこちで崩れてきています。万一、川がせき止められ、土石流となって一気に流れ出すと下流の被害は甚大です。そこで砂防ダムを造ったり、法面を守ったりしなくてはならないのです。
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常願寺川上流の崩壊地。
絶え間なく砂防事業が進められている
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こうした大工事のための人員や資材を運搬するトロッコは大正15年に着工、昭和6年に千寿ケ原−白岩間全線約18kmが完成しました。途中の急勾配はインクライン(ケーブルカー)でした。しかし、戦時中の工事中断の間にインクラインは土砂崩れで使えなくなり、しばらくはワイヤーを張った索道で物資を運んでいたのです。昭和40年、その区間の標高差200mを18段のスイッチバックで登るというトロッコの軌道工事が完成し、現在の形になったのです。
トロッコは、国交省立山砂防事務所があるふもとの立山町千寿ケ原と砂防の前線基地・水谷平との間を1時間45分で結んでいます。ゲージ(軌間)は黒部峡谷鉄道よりさらに狭い610o。客車は3人掛けのベンチシートが3列の9人乗りです。それを3両つないで定員は27人。制限速度は15kmですから、本当にゴトゴトと走る感じですね。
スイッチバックを繰り返す地点では、対岸の風景も行ったり来たりで代わり映えしませんが、次第に高度を上げていることが分かります。レールの上を走る乗り物なのに、こんなにも高度を上げられるものだと感心させられます。
スイッチバックは今でこそ自動切り替えになっていますが、30年近く前に乗ったときは、運転士か車掌が手動でいちいち切り替えていました。当時よりトンネルも多くなり、安全面が整備されてきています。それでもルートの大半は、がけの際を走る秘境トロッコであることは間違いありません。
終点・水谷平には、鉄筋コンクリートの国交省立山砂防事務所水谷出張所があるほか、各建設会社の宿舎が建ち並んでいます。山奥に突如現れた集落のような感じさえ受けます。ここには全国から作業員が集まっています。地元・富山の人さえ知らないところで、人命と国土を守る仕事が行われているのです。
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| 各国の視察者が続々 |
そこから先、カルデラでは「日本にこんな光景があったのか」と思わせられるほどの荒涼とした風景が広がります。360度のパノラマの中で、数多くの砂防ダムが谷に沿って連なり、まるで閉じたファスナーのように見えています。「人の営みは小さい。だが確実な守り」を感じさせてくれるのです。
そんな知られざる立山へ向かうトロッコですが、ふもとの千寿ケ原でスイッチバッグをしながら山を登り始めた途端、アルペンルートの立山ケーブルと目の前で出会うところが一カ所あります。ケーブルに乗った観光客が、こちらの緑色のトロッコを不思議そうな顔で見つめています。「あれは何だ?」。山なのに、いくつもの路線。鉄道王国・富山ならではの光景と言えるかもしれません。
※見学会の問い合わせは、「立山カルデラ砂防博物館」076−481−1160へ。
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